動かない物の中で

「帰ったら絶対、自分の身体をまじまじと見よう」と思いながらながめる夜の車窓

景色は闇に溶けて、明るい車内に居て夜目が効かないわたしには
外の田舎の明かりがよく見えない。
わたしが見ているのは窓に映った自分の輪郭だった。

身体がかなり軽いので、さぞ細身になったにちがいないとわくわくしている。

撮影の仕事の帰り道だ。

女性なら「うらやましい!」とジェラシーする収録だっただろうが、それは
吐きそうになるほどマッサージをされたことがないから言えるのだ(笑)
体力勝負の現場であった。でもそれは技術さんもディレクターも施術者も、皆同じ。

さすがに揉みしだかれ過ぎて若干吐き気もしたので(幸せな吐き気か?)
スマホを見る気にもなれず
ボーッと車窓を眺める。

大阪。平日だというのに酔っ払いが道端に落ちている。おもろい(笑)お気をつけてね。
どこもかしこも人が歩いている。こっちまで元気になってくる。活気がある。人の営みがダイレクトに見える。そんなパワフルな街大阪。定期的に来るべき場所だと思った。目的地に着く前にいくつも寄り道して迷子になりかける。

 


田舎の涼し気な闇と、手前に写る自分の輪郭を交互に観るのも飽きてきた。

飽きたついでに、ふと前の座席に付いたポケットに差し込まれた冊子を手に取る。

ぱらぱらめくるとコラムが目に入る。

「このミステリーがすごい!」大賞を受賞されたこともある
ゆづきゆうこさんのコラムだった。

この時この冊子をめくってよかったと心底思った。

彼女はこのように書いていた。

人が作ったもの。
たとえば…本や、テーブル、いす、洗濯機なんかは、こちらが働きかけないと動かない。
動かないものに囲まれていると、
自分の時が止まったかのような錯覚を覚える。

しかし、炎や川とか自然のものは、ひとときも止まることがない。
本来時は止まることがないのだ。
変化してゆくことを思い出す。

これは完全な引用ではない。わたしが彼女のコラムを読んでメモしただけの内容だから、
わたしの言葉に書き換えられてしまっている。

彼女は炎を見ながらこれを書いたようだ。

彼女の言わんとすることに深く共感した。

 

静寂の部屋の中で、アンビエントな音楽を聴きたくなること。

川の音に癒されること。

雨の日は窓を開けたくなること。

いつも旅をしていたいと思うこと。

誰かと会話をしていたいと思うこと。

毎日同じルーティンの中に居たいと思えないこと。

実はそれは人間の本来の生き物としての在り方を求めているのではないか、なんて
解釈もできた。

冒険に生きている実感を感じるのは
時の流れを感じることと同義かもしれない。

そうだったらおもしろい。

もちろん異論は大いに認める。

幸せな思考の電車時間はおわり。

キャリアケースをコロコロしながら自宅に帰ると、

ベッドで息子がスヤスヤ寝ていた。

小脇にレジンで作った蝶々が置いてある。
翼を広げた透明な蝶々の中には、薄紫のドライフラワーが入っていて
花びらが明かりに透けてきれいだった。
翌朝聞いた話では、夜中に帰ってくるママ(わたし)に渡したくて蝶々を作ったのだそうだ。

 

少し窓を開けて夜風を入れながら、
息子のとなりにもぐりこみ、髪をなでる。

 

愛おしい。

 

子ども達の毎日は同じではない。
強制的にわたしの時も動かされる。子供たちの成長がその分の時間の流れを教える。
わたしが止まっていたつもりだとしても。

美しいことばかりではないけれど、それが自分にとっての生きている実感だと思う。

 

あなたが止まっているように見えたとしても、動き続ける時の中にあなたも居る。

 

嫌なことも幸せなことも、良くも悪くもぜんぶ過去になってゆく。

 

迷子になったらきっと自然の中に行くといいよね。

川の音を聴いたり、風でざわつく木の音を聴いたらいいし、旅行に行ったり、愛する人の寝息に耳をすませたりするといい。

あなたが生きていることを実感するのは、日々の中のどんな時ですか。

誰しもが風景を見ている中、建造物の真ん中を見下ろす。ありじごくみたいだ。実際、パイプのようなエスカレーターの中には人間がぎっしり乗って運ばれている。
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