海が見える家。

これは選択肢のひとつ。
ただの考えだ。
だから
プレッシャーに思わないで聞いてみてほしいんだ。

そう言って将来の話を切り出した彼の言葉が
わたしの人生観を少し変えたと思う。ここに書き残します。


ほら、君は田舎が好きだっていってただろ?

それで、家を買うのは嫌いだって。

だから考えてみたんだ。

今は誰も使っていない家族の家があるんだ。
そこは山の中で、海を見下ろせるんだ。
見て。自由にできる土地はたくさんある。
うん、これ全部。

水と電気はある。
電波はそうだね
スターリンクを置けばいい。だろ?
そしたら仕事ができるね。

そうだね!
きみは鶏を飼うことができるよ。
母はここで豚と、牛と、鶏と、ヤギを飼ってた。だから鶏を飼うことくらい。
そうか、子供たちはフルーツを育てたいんだ。
好きにやろう、フルーツや野菜を育てようよ。

家があって、生き物を育てると
自由がなくなるって。
ああ、近くの人にお願いしたらいいのさ。

ぼくたちには
大切なものがたくさんできるかもしれないが
それでも自由だ。


以下はわたしの感想。

彼のこの言葉には驚いた。
やりたいこと全部叶えても、それでも自由なんだと衝撃を受けた。

近所の人に…って。
なんてフィリピンらしいんだろう。
やり方っていくらでもあるんだ。

わたしのこの人生、いつもやりたい放題やってきて、やりたいことは全部叶えてきたけど
どこかで「すべてのことは同時にはかなわない。だから何かを捨て何かを選ぶか、順番を決めるしかない」
そう考えていたふしがあった。

僻地でリモートワークをすることも、
屠殺ができないわたしが鶏を飼うことも、
旅をしながら子供たちの好きな植物を育てることも。
すべてを叶える、そんな贅沢を夢見てもいいんだ。

大切なものをたくさん持つとどこにも飛び立てない
重い身体になってしまうのだと思い込んでいただけなのかもしれない。

大切なものは少ない方がいい。

わたしの根本にある考えはこれだ。
でもやっぱり人間いくつかのものか欲しくなるよね。
もしいくつかを持つことになっても、
すべてを大切にできるのなら、
それは幸せ。

フィリピンで感じた、人生の新しい可能性。

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