こんにちは、うららです(@aikawaurala)。
この記事は、日常のことを書き留める個人的なカテゴリ「ゆる日」に分類される
いわゆる日記というやつです。
今日はちょっとびっくりした出来事がありました。
わたし、死んでる…。(笑)
6歳娘、「ママが死んだ絵」を描くの巻
「ママが死んだ絵」をわたしに渡してくれた6歳娘。
はじめての出来事でした。
ましかくの紙に、色ペンで。構成はこう(再現)

それは3ステップで描かれていた。
①まず、これが今のママ。

②これはおばあちゃんになっちゃったママ。

③ほねになってしんじゃったママ。
だそうです。
なかなかないよね。
なぜママが死んだ絵を描くのか
ママ溺愛娘が一体どうしたのだ…!!
ほんとはきらいなの?( ;∀;)
とうろたえる前に、娘と同じ「描くのが大好き」だった幼少のわたしに言わせるとこんな心理がある
ほんとうに嫌いなら死んだ様子すら描きたくない
絵を描くという行為はココロの中のものを具現化する好意。
ストレスを発散するがごとく荒々しい絵を描くことはあれど、
きらいなものやいやなもの、その元凶を絵にすることはまずありません。
あえてそんなものを描いても気分は晴れません。
嫌いなものがあるなら、それを吹き飛ばずような明るいものを、
それに負けないくらい強烈なものを描きたくなってしまうのはきっと
そのいやなものによって心まどわされている自分を認めたくない、とか
いやなものに対して丁寧になれない人間の心理なのでしょうね。
これで、「お母さん実はキライ説」が消えました。
ママに死んでほしいのだろうか
ママのことは嫌いではないけど、
死んだ方が都合のよいことがある。という理由があったりするのだろうか。
これに関してはグレー。
わたしが思うに死は、人間の最大の身体的表現・パフォーマンスです。
ひとりの人間が主張をする上で最大の衝撃を与えられる表現は、死。
命を引き換えにすることで、どれだけその事柄が当の本人にとって重かったかは一目瞭然だね。
死を愛する人に求めるということは、最大の愛の表現を望んでいるわけで。
ようは「わたしのために死ねるくらいわたしを愛して」という欲求でもあったりするので
「実はママに死んでほしいのか」と言われると、死んでほしいのかもとゆがんだ受け止め方もできるんですよね。
あくまでネタとしてお読みください(笑)。これは日記だからね。
本人に聞いてみた。
この質問に娘は迷わずこう答えました。
「だってママに死んでほしくないから」
このたった一言でした。
もしかしたら、1か月も風邪で弱ったママを見続けて
死を近くに感じたかもしれない。
自分が熱を出して身体がつらいから、死についてよぎったのかもしれない。
ママが子供だましを一切言わず
死についても語ってきたからかもしれない。
なんにしても、わたしを愛してる娘の気持ちはとても伝わりました。
「老衰にしてくれてありがとう」
と言いたい。
元気に育ってくれたのをちゃんと見て
わたしも残すものを築いて
そんでかわいいおばあちゃんになってから死ぬね。