ヘルス

脊髄炎の麻痺でピクリとも動かなかった腕が動くまでにやったこと

こんにちは、うららです(@aikawaurala)

シングルマザーにもっとカネの翼を、とうたって

恋愛やら時短術の記事を多く更新しておりますが、今日は病気のおはなしをします。

おととし2018年、元気な3歳児だった我が子が、風邪で脊髄炎になり入院。

自宅に帰るころには身体麻痺で一級障害者となっていました。

しかしピクリとも動かなかった腕が、動く兆しを見せたのがこの記事を書く一か月前、2019年12月のことです。

脊髄炎で腕が動かなくなったわが子の腕が
また動き始めるまでに実践してきたことを記録としてここに残します。

うらら
うらら
同じく、
・脊髄炎の後遺症に苦しんでいる、
・神経の麻痺回復が頭打ちになってきた、
・神経の麻痺がどのように回復していくのか経過が知りたい
方たちにこの記事が参考になるとよいと思います

  共有してきたことでわたしたち自身が救われたことがたくさんありました。

だからこれからも今まで通り、当ブログで急性弛緩性脊髄炎についての記事を更新していきます。

▼今回我が子に起きた病気、【急性弛緩性脊髄炎】について知りたい方はこちらの記事をお読みください。

https://haruurala.com/2019/07/04/teashikuchi-enterovirus/

脊髄炎発症からこの記事を書くまで

わが子、Kが3歳の2019年10月に
手足口病の原因となるエンテロウイルスのコクサッキーに感染して
急性弛緩性脊髄炎を発症
しました。
ただの風邪が一変、どんどん身体が動かなくなり
上肢、上腕の麻痺を残しました。

健康な状態だった子供が一級障害者になるまで、たったの3日でした。

詳細はこちらの記事です。

https://haruurala.com/2019/05/27/afm1-acuteflaccidmyelitis/

(病院で書いた記事をほぼそのまま残していますので

切実で感情移入があり読みづらい部分もあるかもしれません、ご了承ください。)

発症から1年が過ぎ、
機能再建の手術を受けてから3か月が経過しましたが、
機能再建手術をうけてから2か月と28日が経過するとき、神経が繋がったと分かるできごとがありました。
ちょうど、手術から3か月めの病院受診も控えている今月。
これを節目として
これまでに彼の麻痺した神経に対して
わたしたち家族ならびに関わった先生がたが行ったアプローチをまとめます。

回復の時系列(表)

容体・回復
2018年10月【急性弛緩性脊髄炎発症・入院】
( 腕が動かずひとりで起き上がれなくなり受診 )

神経損傷により嚥下・タンの排出ができず
呼吸停止。アンビュー措置で一命をとりとめ集中治療室へ。
・両腕が動かない
・嚥下がうまくできない
・顔面麻痺
・意識もうろう
・発声がしにくく口数が少ない
・足だけは自由に動かせる
11月【集中治療室から一般病棟へ。】

・集中治療室時点でみとめられた顔面麻痺は11月中に完治
・発声はとぎれとぎれながら口数は増える
(話す内容・文章の組み立て方は健常なころと変わりがないように思う)
・神経が損傷したことによって首がぐらぐら
・支えと体幹装具があれば立てる(足は健常)
・右腕は弱いが肘が動く、握力は弱い
・左腕はまったく動かない・握る力もぴくりと指が動く程度
・トイレはオムツ
・看護師さんにだきかかえられた状態で2人がかりでなら
お風呂に入れる状態に。2、3回入れた
・鼻から管をいれていろうしていたが嚥下がうまくできるようになったので
管をはずす。
・装具の作成
12月【退院】

・体幹装具はほぼ使わなくなった
(まだぐらついていたものの、
回復を邪魔しないようにあえて装具なしという選択に)
・首はぐらぐらなので、日中は常にネックカラーで支える
・嚥下も良好だったのでオモチを食べた
・持ち帰った酸素マスクとそのへんの機器は使用しなくてもいいくらいに
 呼吸が弱ることがなくなった
・発語は息継ぎに途切れることもあるもののスムーズになってきた
 いっしょに歌も歌うほど
・通っていた園から「手をかけられない」と断られ、退園
・障碍者手帳の申請
・製作していた装具が必要なくなったので
 体幹装具だけキャンセルとなる
2019年1月・リハの先生と相談しながらアームスリングを自作。少しあそびやすくなる
2月
3月
4月【保護帽を製作】
・同年代とのふれあいがとても重要と感じ
 福祉サービスを利用開始。
・福祉サービス利用にあたって
 )障害児を預かる施設でありながら、隣接した保育園の子供たちと
 遊ぶ時間を毎日設けているので1対1保育の手厚さと
 知的レベルの同じ子供たちとのふれあいがあることにメリットを感じる)
 週3回の利用
5月
・入力信号が大切とリハビリの先生から教えられ
 体によく触れることを意識して生活
6月
7月【神経麻痺回復の限界を迎える】
・地元医師をめぐり、地元で再建ができないことを知る
・ツイッターにいただいたコメントを機に、再建手術ができる病院を教えてもらう
・iPS細胞、ステミラック療法の治験が該当しないか調べる、
親の神経を子供に移植できないか、
海外の文献も調べてさんざん参照したが
現時点で有力なアプローチはわたしが知り得る中で
手術しかなかったため手術を決断
8月【高気圧酸素療法を受けるため入院】
・ 細胞の活性化を図り、高圧酸素カプセルを持った地元県立病院に
30日間の入院→高圧酸素療法についてはこちらの記事
・動かないため下がっていた左肩の高さがいつのまにかそろってきていて
左右差が減ってきていた
9月【地元病院を退院後、すぐ山口の病院へ入院し手術】
・弛緩性脊髄炎患者さんが多く集まる山口県の町医者へ
・呼吸器の心配があったため麻酔科に受け入れてもらえず、
 手術自体は設備の多い大学病院での手術となった
・術後痛みはなかったらしく、麻酔のとき怖がって涙が出た以外に
 手術で泣くことはなかった
・手術の内容と病院情報はこちらの記事
10月【術後一週間でなんと電車をのりつぎ転院】
・大学病院から、小児神経の先生が居る町医者へ
 なんとギプスをつけながらバスと電車を乗り継ぎ歩いたりしながら20kmを渡った
【病院生活にも慣れる】
・病院生活にも慣れてよく遊ぶ毎日
・外出の許可が出て観光してまわった
・お風呂も解禁、母といっしょにお風呂に入れる
【ギプスがはずれる】
・ずっと固定をしていたために腕の様子はあまり分からない。
 むしろ固定によって、もともと動いていた指先の動きもしぶい様子。
・リハビリにも慣れ、
 おなじ病気で入院していた子供たちとお友達になり、再会の約束をして月末に退院
11月【すぐに地元病院受診とリハビリを再開する】
・山口の病院を退院後福井に帰ってすぐにリハビリを再開する
 また週4メニュー
・手術した腕も動かせる範囲で強化につとめた
 その際山口でのリハビリの様子を動画や記録からよく地元の先生に伝えた
 訪問看護の理学療法士の先生が1人(OTも総合的にしてくれる)
 地元病院の作業療法士の先生2人の計3人の先生が息子についている
・リハビリの内容は、シール・ひも・ねんど・スイッチなど
 毎回さまざまな道具で遊びながら行われる
・着替えの練習をするようになった
・手術に、握る神経を使っているため、握る動作を強くすることで
 腕も曲がりやすいとの山口の先生のアドバイスにより握る、
 上向きでつまむ動作も重点的に
【福祉サービスの利用も開始】
・通常術後3か月は園に通わないそうだが
 1対1保育もあり先生との相談ですぐに利用を再開。週3日通園する
12月【ズボンの脱ぎ着ができるようになる】
・リハビリの先生と家での練習によって
 パンツとズボンの着替えが片腕で(たまにもう片方の指先も補助で使用)
 できるようになり、トイレがひとりでできるようになる
【脳しんとうを起こす】
・転んだ際に両腕をつくことができないので
 頭から転ぶ。
 保護帽をかぶっていたが保護帽のかかっていないおでこを強打し
 脳しんとうを起こす。
 意識もうろう、嘔吐で救急に行くも、様子見となり帰宅
 次の日には治った。
・このことがあってから、どんなときも外出時は保護帽をかぶっている
【お風呂で「ひだりてがまがる!」と言う】
★入浴中、浮力を使い左ひじを曲げた
 手術の内容は左ひじを曲げるためのものであったため、手術の成果が
 垣間見えた瞬間であった。
 このとき術後3か月になるところ。
・園の発表会があり、動かせる範囲で手を動かしステージで踊った
・病気になって以降、とても消極的だったが小さく踊って歌も歌えていた、感動
2020年1月【この記事を書いている現在】
・今月は筋電図の検査がある。
 動かない腕の筋電図はもともと、
 まったくグラフの線が振れていない状態の、「ゼロ」だった。
 すこしでもその線が振れて、神経が繋がったと確信ができる結果であるようにと
 願いながら再受診を待つ。
・通所の園では保護帽、アームスリングのスタイルが日常
 卓上の遊びやごはん・おひるねのときはスリングは外している現状

病院内でやったこと

可能なかぎりの遊びを

 子供は、遊びがリハビリ。

でも歩けないと極端に遊びが減ります。

主に移動は、病院で貸し出してもらったバギーか、持参したベビーカーでした。

でも「やりたいことはできるかぎりやらせる」をモットーに、

砂を触りたいと言われればベビーカーで砂場につっこみ(もちろん誰もいない時)手ですくい砂とふれあわせる、

走る、歌う、ボール遊び、シャボン玉、楽器、可能なことで本人がやりたいことはなんでもさせました。

意外となんでもやりようがあるものです。

死ぬ心配がないなら明るく居よう!

 集中治療室に居たころは、

どこまで悪くなるのかわかりませんでした。

それこそ毎日まいにち泣いていました。でも、症状が底を打ったと医師とわたしが確信し、

一般病棟へ移ったときは、

生命維持に致命的な後遺症はありませんでした。

「もう死ぬ心配はない」

だったらいつまでも悲観していないで楽しむしかないと思うんです。

病院にいる間は、嫌な検査も治療も投薬もあるしごはんもおいしくない。

それでいて、付き添いのお母さんがふさぎこんでいたらどうでしょう。誰得?

病気に命が奪われる心配がないのなら、もはや楽しむしか選択肢はないと思って前向きにいきましょうよ。

ココロのポジションはこうあれ

ひどい中傷もあった

中には事情をまったく知らない人から「重い病気の息子がいるのに」と言われることもありました。

子供を連れまわしてと悪口をいいふらされました。

できることを目いっぱいさせてあげることの何がいけないのでしょうか。

外に出ても死ぬことはないのです。脊髄炎などのことについて正しい知識のない人からの心ないことばでした。

暇なくせに仕事をしていないと怒鳴られたこともありました。

夫がフルタイム勤務で、

障害になって幼稚園から除名された我が子を

日ごとに違うショートステイへ(週5預かりはどこもできない)へ預けて

3時間だけのアルバイトに行くべきですか?と言いたくなります。

家でお金になりそうなことを必死にやりました。ホンネを言えば、音楽さえお金にするため必死でした。

福利、自宅でできること、わたしが売れるもの、、いつもそればかりで

時間があるといつもモニターの前にいました。

でもどんなに頑張っていてもつらくても、明るくしていれば中傷されることがあります。

つらそうな顔をしてなければ、苦行に耐えている様子が表面に出ていなければいけないというのが日本の風潮だというのはつくづく感じています。

でも、本当に声を大にして言いたいのは、

無知がゆえに誹謗中傷する者の声に耳を傾けて、暗くなってみたり、萎縮する必要はみじんも

みじんもありません。

そんなものに、足をとられちゃだめだよ。

というかうららはわりと中傷などどうでもいいです。わかるひとにはわかるから

他人が口挟む間もないくらい自己ベストでいればいいんじゃないでしょうか。

家庭でやったこと

日常はアイディアで取り戻せることもある

 立てない・腕がうごかない

実はこうなると手洗いが困難になります。

外から帰って手を洗うときに用意するセットがありました。

タライと、100均(セリア)のマヨネーズケースです。

マヨネーズケースに水をいれると、4本の穴からシャワー状にチューッと水がでます。

バギーに座った状態のおひざにタライを乗せ、

そのうえに腕を置き、マヨネーズケースのシャワーを浴びせてあげることで、手洗いの問題を解消していました。

日常で必要なことは、アイディアが取り戻してくれることもあります。

オリジナルの歩行器でココロも元気に

 我が子の場合は、上肢をテキメンにやられたものの、

下肢は元気であったため、ようは上体を預けることができれば歩行が可能でした。

赤ちゃん用の市販の歩行器はすでに足の長さが合わない年齢でした(3歳)。

そこで、エンビパイプで足を継ぎ足す簡易カスタムをおこなったところ、これが大ウケ。

実を言うと、このとき本当は医師から歩行の許可は出ていませんでした。

しかし当時医師からは、脊髄炎の神経麻痺が回復するのは発症から1年までが目安と言われていました。

回復までにできること・時間は限られていました。

当時医師からそう伝えられてはいたものの、我が子や他の子供たち、

別の医師からのお話をきいて、

脊髄炎の神経損傷が回復できるのは「6か月(半年)まで」だと今は認識を改めました。

発症から半年も経過してしまえば、後遺症が固定化され回復の見込みがなくなってしまう…そんな認識です。

ですから家でできることを惜しみなくやろうと焦り気味になんでもチャレンジしていましたが

子供のメンタル的にも身体機能を使うという意味でもよい影響があったのではと思います。

サンダンシートのごとく延長された背もたれがついた車ののりもの、

底上げされた歩行器に乗って

リビングをほんとうに嬉しそうに走り回る姿を思い出すと涙がでます。

アームスリングを自作し遊びやすく

動かないままでダランと伸びきった腕では

せっかく指が動くのに、遊びにも使いにくいものです。さらに、ずっと腕の重みがかかっているので

脱臼の不安がありました。

というわけでリハビリの先生と相談した結果、

アームスリングを自作することになりました。

肩が弱っているため、肩にかけるタイプのアームスリングでは負担が大きく、

遊びには使いやすくなりますが、脱臼の予防という意味では本末転倒なので

【肩にすべての重みがかからないように腕を吊る】

と要点をミニマム化したところできあがったのが

【バンド型アームスリング】です。

↓写真は試作第一号なので見栄えはよくありませんがこんな感じ。

胴体にまきつけてなおかつ肩にもひもをつけて

腕の重さを肩と胴に分散したアームスリングのできあがりです。

表面はキルト生地で裏面は棉布、胴体に巻くバンド部分には、どんな服でも大きさの融通がきくように

大きめのマジックテープを使用しました。

脊髄炎の麻痺は、部位が特定できません。脊髄炎といえばここが麻痺しやすいという定説はないのです。ですから、

指が動くのに腕が動かない我が子のような特殊な麻痺もあるでしょう。

そんなとき、装具や日用品を自作することはとても大事なことだと思っています。

どんなに下手でも見栄えがわるくてもいい。愛をもって作ってあげてみてほしいです。

そのプレゼントがうれしいし、それで生活が快適になるなら

メンタルにもいいので、ぜひやってみてほしいです。

ちなみにこのスリングにはキーホルダーをつける通し穴も設けました。

いつも好きなものをつけて、喜んで装着してほしいという思いからです。

上がらない腕では着替えの動作も困難になります。ズボンを上げるのをひとりでできるようにと

壁に吸盤をとりつけたご家庭もあるそうですよ。

吸盤と布のほどよい摩擦を使って、

壁に背をつける格好でうまいことズボンをひとりではけるんです。

ひとりでできることは自信にもなりますよね。

障害があっても日常を快適にするアイディアの重要さ

テレビに出てた東大生の身体障碍の男性が言っていました。

「自分で、つまらせたタンを取ることもできず死にかけたとき、母親に助けられたんですよ。

そのとき僕は、何がくやしかったって、

そんなことも自分でできない、結局ひとりで生きることができない自分に

すごく悔しくなったんです。」

って。

自分でできる、っていうことは大きな自尊心になります。

そういう意味でも、日常の助けになる道具を考えたりという工夫は必要不可欠だと感じます。

工夫すればほとんどのことはできる

ビジネスにおいても成功する上で超重要な思考回路ですが

「現状でできないのなら、どうやってできるか」という思考です。

工夫すればほとんどのことはできると思ってやってみればできてしまったりするものです。

「できないからやめておけ」ではなく「できるようにするにはこれが必要だけど、いいかな?」

と提案と承認ができると最高だと思います。

リハビリでやったこと

先に述べたとおり、脊髄炎による神経麻痺は、半年を過ぎると

固定化されてしまい、それ以降の回復がかなり難しくなってきます。

時間がないと感じていたため、リハビリは割と詰め気味に入れていました。

訪問看護の理学療法士さんを週3回呼んで、在宅リハビリ。

それに加えて病院でのリハビリを週1回。

のこりの一日は病院の受診(3人の先生にかかっていましたので受診スパンが早い)に空けておいていたので、

実質週4回のリハビリでした。

後ろむきで長距離を歩く

 早い段階から、歩行ができていたので

運動系の理学療法士さんはあまりお世話にならないかも…?なんて正直思っていたのですが

「予防」の意味を兼ねてのリハビリをしてもらえました。

それが「後ろ向きで長距離を歩く」です。

何に効果的かというと、

歩くことはできるけれども、もしも転んでしまったら、

腕が使えないので、顔面または頭を強打してしまいます。

さらには首も弱いので、むちうちかさらに酷ければ

こんどは脊髄断裂にもつながりかねない状態でした。

子供はよく転びます。でも我が子はひとたび転ぶと事故になるのです。

だから「うしろ歩きで体幹・バランスを鍛え、そもそも転ばないようにする」

という目的で、広い病院の廊下を

先生に支えられながらうしろ歩きしていました。

https://haruurala.com/2019/05/29/%e3%80%90%e5%ae%9f%e3%81%af%e5%85%a5%e5%8a%9b%e4%bf%a1%e5%8f%b7%e3%81%8c%e6%9c%80%e3%82%82%e9%87%8d%e8%a6%81%ef%bc%81%e3%80%91%e8%ba%ab%e4%bd%93%e3%81%ae%e5%8b%95%e3%81%8d%e3%82%92%e5%8f%96%e3%82%8a/

【PT編】リハビリを嫌がったときの先生の対処

ときには足がもつれて嫌がりました。

「歩きたくない」とだだをこねるときは、「お母さんが居ると甘えちゃうから」と

お母さんの付き添いをなしにするときもありました。

そして先生は、怒るでもなく語りかけるでもなく、

だだをこねる我が子をじーーーーっと待っていました。

すると、自然にまた歩き始めるのでした。

そうしないとリハビリが進まないし、おわらないから。

ぐずらずまた後ろ歩きを再開するのです。

小児のリハビリは、ただの運動ではなくて遊びの要素やかけひきが必要になってくるので

先生が子供に対して上手に立ち振るまってくれるかもリハビリを継続する重要なポイントだと思います。

その先生は、子供の中では「厳しい先生」だったようですが、

理学療法室にあるおおきなプラレールが大好きだった息子は、

嫌と言わずに喜んでリハビリに通っていました。

ちなみにそこにあるプラレールたちはその「厳しい先生」の私物だったりなかったり。

じょうずにしてくれているな、といつも感じていました。

リハビリのノウハウがあっても、優れていても

まず第一に子供の相手が上手でないとなかなかリハビリの限られた時間を有効活用できません。

いろんなリハの先生にかかりましたが、子供の気持ちをのせてあげるのが上手で、

子供がココロを許せる先生にお任せしています。

うらら
うらら
小さいながらに650km旅して手術して入院して、毎日リハビリ頑張っているのだ。どうかこのままいい流れで機能再建できますように。
では今後も弛緩性脊髄炎について更新していきます。
またね

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